院長・スタッフSTAFF
院長紹介
院長 | かとう | ともや |
---|---|---|
加藤 | 智也 |
院長の詳細
ここからは、私が歯科医師になるまで、歯科医師になってからの歩みを書いてみました。
もしご興味ある方、院長はどんな人なんだろうと気になる方は是非読んでみてください。
歯科医師になるまで
育ったのは、自然豊かな三重の田舎町でした。小学生時代は、四季を問わず毎日半袖半ズボン通学でした。“わんぱく相撲の選手”といえば、当時の私の姿をイメージしやすいかもしれません。偶然お会いした54代横綱・輪島さんに、相撲部屋にスカウトされたこともあったほどです。
中学はバスケットボール部へ入部し、3年生のときに県代表選手に選出されました。バスケットをするために通学をするような学生生活を中学・高校と過ごし、浪人生活中に初めて自分の未来と向き合いました。「なんとなく歯医者にでもなるか」から、将来は父親のように「地域医療に貢献できる歯科医師になりたい」と思うに至り、無事に奥羽大学歯学部に合格。毎日勉学に遊びにあっという間に過ぎた大学時代でした。青森から沖縄まで全国で開業している友人たちは、今でもお互いに切磋琢磨する大切なライバルです。
歯科医師になって
歯科医師となり、奥羽大学の補綴講座に残ることになりました。
「補綴(ほてつ)」とは、文字どおり補い綴る(おぎないつづる)ということ。失った歯を人工物(入れ歯や被せ物など)で補いつなげることをいいます。
一般的には技工士が製作する入れ歯や被せ物を、歯科医師が自らの手で作り、失われた機能を取り戻すというのが補綴講座の特徴です。「それが自分の手で作れる! なんて魅力的な仕事だろう!」と、多くの講座の中から迷うことなく補綴学講座へ入局しました。
診療終了から朝方まで、補綴物の製作や学生実習の準備をしながら少しずつ知識と技術を身につける毎日。若い歯科医師のために、指導医や先輩方が日をまたぐまで付き合ってくださったことに今でも感謝しています。
たくさんの知識や技術を身につけ、また医院の運営も経験して、これからは自分の医院で今までの経験を地域に貢献したいと決心。令和4年4月に能見台かとう歯科クリニックを開業いたしました。
治療に対する想い
私一人が診療できる患者さまには限りがあります。
数多くの歯科医院がある中、ご縁があって当院で治療なさった患者さまが、今後再治療の必要がないお口になり、「能見台かとう歯科クリニックで治療してよかった」と感じていただけるよう日々の診療を行っております。このような診療を日々継続するのは容易なことではありませんが、毎日チャレンジすることで叶えられる夢だと考えております。新しい医療技術や知識が大事なのは当然ですが、第一に、治療するスタッフの想いや心が伝わることが、患者様の笑顔につながると考えております。
お口の中のことであれば、どんなことでもかまいません。ぜひ能見台かとう歯科クリニックへお越しくださいませ。お会いできる日を、スタッフ一同心待ちにしております。